2月が終わってしまった

事情により自宅の工事が決行されていたものだから
なんかね、この1ヶ月ばかりは
ほとんど市内から出なかった。というか自宅で大量のダンボールに
荷物を詰めたり、埃にまみれたりしてじっとしていた。
実際は私は工事のために役立つ働きというよりは
自宅に次々と来てはガンガン作業しては風のように去る
各種施工業者の皆様を呆然と見守る感じで1ヶ月余。


2月に唯一、市外に出たのは、2月11日に下北沢に
ソウルフラワーユニオン二階堂和美さんのライブ見に行ったこと。


ソウルフラワーユニオンは、祭りのように元気だし
ライブハウス満員のお客さんが、なんかゆったり良い感じの集まり方で
子連れのお客さんたちも普通に居れる感じがまた良くて
二階堂和美さんがとてもキュートで、すごく充実。
満月の夕」はもちろん
アンパンマンマーチ」がこんなに感動する歌だったとは。


あとは、地元で映画「六ヶ所村ラプソディー」の上映があったのね。
工事の合間に見てきたよ。2006年のドキュメント映画。
静かな漁村が核燃料再処理施設を受けれて、更にそれが本格稼働する。
手間をかけて独自に無農薬の米を作っていた農家は、放射線を心配する
消費者に契約を打ち切られてしまった。
しかし印象に残ったのは、再処理工場で働く元漁師のお父さん。
六ヶ所村の小さな漁村は、かつては漁業で十分やっていけたが
今はそこの小さな漁船ではどうにも生活できない。
素晴らしい筋肉ムキムキで、子供が3人いる。再処理工場での昼食はカップ麺。
こんなに健康体で「子どもたちを食わせるためどんな仕事でもする」と
きっぱり言うお父さんがこの土地でできる仕事は、再処理工場以外にあるのか。
都会で電気を便利に大量に使って、更にお金をかけて
「より安全な食べ物」を買い求める生活とは対極。
他にも、クリーニング屋さんとか、再処理工場が稼働してくれることが
仕事の確保のために切実に必要な立場など。
高速増殖炉も最終処分場もドン詰まりな現状で
国内のたくさんの原発の高濃度の放射性廃棄物を集めるって
どう考えても無茶苦茶なんだけれども
それでも本当に困窮しているときにお金を積まれてしまったら
それは受け入れてしまった側の責任ではないよね。
そんな無茶な計画を進める側の責任。でもそれ以前に過疎地の経済の厳しさ。


それと2月26日に小出裕章先生の原発お話を和光大学に聞きに行った。
福島第一原発の4号機の燃料プールが何故最大の問題なのかなど
大変なお話を聞いた。小出先生は原子炉の専門の学者の立場から
40年前からずっと反原発を明確に主張していて
それなのに原発は次々建設されてついにこの事故で
小出先生はご自身を「止めることができなかった敗北の歴史」と言う。
講座の後半は、小出先生の他に何人か壇上に上がって話した。
福島県の農家から母子で自主避難してきた人も話した。
自主避難せずに残る場合、現地での被爆を最小限にするためには
井戸水はどうするか、野菜はどうするか、日々の生活の細かいこと
ひとつひとつが恐ろしいまでのストレスになる。
そして自主避難を選べば、住まい、収入、家族の問題。
残るのも、避難するのもどちらを選んでもあまりにもしんどい現状。


普通の大学生の発言も良かった。
「仮に何ベクレル以上の食べ物は中高年者だけが食べる」とか決めても
自分や友達は、マックの無料券とか100円ショップの食べ物で暮らしている。
生活に余裕のある層が汚染を避けて、
お金も時間もない層が「ちょっとくらい毒でも良いや」となるのではいか。と。


もう、避難すべきか残るべきか、農産物をどうするべきか、
実際にそれぞれ考え抜いて選んだところで
どちらにしたって非常に辛い選択で、それなのにまだ原発再稼働の話があるし。


和光大学の一番大きい教室が満席で、会場に入れなかった人もあったようす。
小出先生の話のあとに、それぞれの立場の人の話と
それに対しての小出先生の意見が聞けて、この講座は参加できてよかった。


:::2月の写真:::

夫が人型寝袋を購入。着用して大満足で床で昼寝する夫。


これは寝袋なのに着用したままヨチヨチと歩くこともできる。
バカにしつつ私も着てみたら、不覚にも感動してしまった。
自宅工事のためにエアコンが使えない期間があったが
この寝袋さえ着ていれば、スゴイ!
何が凄いかというと、何もせずにじっとしていても暖かいばかりか
どういうわけか心がすっかり満足してしまうところだ。麻薬?




2月の最後に雪の中を友人と地元のホールに落語を聞きに行った。
林家たい平春風亭昇太 二人会」素直に楽しくて良い。