通路で太陽

昨日、銀座シネパトスで見たソクーロフ監督の「太陽」
お客が一杯。早く行って整理券もらえば良かったんだけれど、
行き当たりばったりだったから、立ち見だった。まあ実際は通路で
壁にもたれてべったり床に座って見たんだけれども。


終戦直前から天皇人間宣言までの間の昭和天皇(イッセー尾形)の生活。
こういう題材の映画なのに、玉音放送の場面等は省略されているので、
静かなトーンで奇妙な生活を日々続けているのを、もう敗戦後だということにも
なかなか気づかず見てしまう。
侍従が佐野志郎で、皇后が桃井かおり


以下、私個人としての感想。
昭和天皇って、私が20代半ばになるまで実際に生きていたのに、
その後もテレビとかで見ているのに、
自分の身近に、各自の昭和天皇への思慕なり敬愛なり憎悪なりを、
アイデンティティの一部としていると思われる人々もあったのに、
私自身はリアルな存在としてあまり認識できていないんだと思う。
この映画の中で、天皇に敬意を払わずに写真を撮るやかましい米兵たちに、
なんだとう無礼者、と自然にムカツク日本人な自分と、
イッセー尾形が、私の記憶の中の昭和天皇と同一人物のように見えて、
「あっ、そう」と言う時の感じやモゴモゴと滑稽な感じから、
子どもの頃に思った、絵本で見る王様とは似つかないこの変なお爺さんが
どうして現人神として実際に国民全体に信じられていたのかという、強い違和感。
もしも昭和天皇に至近距離で会ったなら
「恐悦至極に存じます」とか言い出しかねない自分と
「あはは、チャプリンみたい」と思いそうな自分と。
自分の立ち位置がわからないが、それが分らないことも苦にせず生きている。
でも、実際に神として生きていた人ってどんな気持ちだったんだろう。
「現人神って、どんな気分?」みたいに質問したマッカーサーの気持ちには共感。
静かな静かな映画。
日本公開が難しかったのが何故だかも分らない。
それは私が関連資料を真面目に読まないから分らないんだが、右翼の人はどの部分で
怒るのか、映画をみた限りでは不明。滑稽な感じは実物も醸していたし。
予告編でも見られる、黒煙の上空から尾の長い魚が爆撃機として、
水の底のような地上を焼き払う、リアルで荘厳な幻影は凄い。