何で渋谷さんにチョコだったのか

息子(小6)のバレンタイン及びホワイトデーイベント終了につき、
自分自身の遠い過去のそれ関連の記憶を辿ろうとしたが、高校以前の
そういう思い出は何も無いな。無関係に生きていたに違いない。
高校の多分3年生のバレンタインデーの頃に千葉のパルコの変な会議室で、
渋谷陽一トークライブ」があって、高校の帰りに制服のまま
同級生女子ツェッぺリンファンのNさんと一緒に行った。
パルコの入り口で各種バレンタインチョコが売られていたので小さいのを
ひとつ買っておいて、イベント終了時に渋谷社長に手渡ししたら
軽く嫌な顔をされたので、うっとおしくてごめんなさいねと思ったのは覚えている。
1982年の2月には、同級生の中で自宅にビデオデッキがあったのは
多分そのNさんだけで、貸しレコード屋でLPを借りてカセットテープに録音するのは
新しい感じだったと思う。
カッコイイ音楽、面白い音楽の情報源はNHKFMサウンドストリートという番組で
そのうち週2日はDJが渋谷さんで、ドキドキしながら聴いていた。
P-MODELを最初に聴いたのもそのラジオ番組でだったんじゃないかと思う。
そのバレンタインが確かに高3のときだったとすると、
その翌月に千葉のマザーズというライブハウスで初めてP-MODELのライブを
見たことになる。アルバム3枚目の「ポプリ」のときだったように思っていたが、
音廃本で確認したら、4枚目の「パースペクティブ」の発売直後だ。
開場待ちの間に中から「のこりギリギリ」の音合わせとか聴こえていた。
このとき私は世界で一番カッコイイものを見たと思った。
突き抜ける緊張感。客席に対するフレンドリーな感じは皆無で、殺気っていうか。
それが非常に信頼できる態度に思えたんだろうか、もう一生ついて行こうと決めた。
この後、ロッキングオンP-MODELのライブを客席との「神経戦」と
表現しているのを読んで、うまいこと言うなあと思った。