朝の会と帰りの会

ネットで「帰りの会」という言葉を見て自分のそれを思い出した。
私の小学校2年生のときの担任の先生は
優しくて真面目で熱心だったと思う20代の女性だった。
毎日の終業時には帰りの会があってそこでは
日直が司会で「その日にクラスであった良い事」を
何か思いついた人が挙手をして発言することになっていた。
ある日、私の班の男子がハイと挙手をして
「今日は給食の時間にmidoridouさんがしゃべりました。
 しかも内容の聞き取りが可能なまでの声量でした。」という主旨の発言。
何故いきなりそんなことがクラス全体の前で語られているのかと
私が思わず硬直したところ、先生はハキハキした声で
「それは本当に素晴らしい。クラス全員でmidoridouさんに拍手をしましょう」
と言い、その拍手が鳴り響く脇で先生は眼鏡を押し上げて自分の目をぬぐっていた。
私は登校してから下校までほとんど何もしゃべらないですごしていることが
多かったようだが、それはまあ無自覚にやっていることなので
先生が私がしゃべらないことを悩んでいたらしいとか、気付いていなかった。
私がしゃべると先生は泣くほどうれしいらしいということが
この日に初めてわかったので、その後は時々学校でもしゃべるようになったんだか
あまりその後のことはよく覚えていない。



中学校では「朝の会」があって、名簿順に当番で1人3分くらいのスピーチを
教壇ですることになっていた。月に1回くらいその順番は回ってきたのか。


私はその頃は、親が月賦で買っていた分野別の百科事典が月々1巻ずつ
自宅に届くのを読むのが楽しみだった。そのときは「虫」の巻を愛読していた。
そこにはカタツムリの特性として「菌類を好む」と書かれていたはずだ。
私は朝の会の自分のスピーチで
「百科事典のその記載の意味がどうもよくわからなかったので、
 まず食品クズで数種類のカビを自分で育ててみた。
 そしてカタツムリを捕まえてこのカビがふわふわ育っているビンの中で
 飼育したところ数日後に死んでしまったので、やはりその記載について
 どう解釈したものだかわからずにいる。菌類を好むというのはもしかして
 キノコを食べるという意味なのかもしれないので、今度はそれを試そうと思う」

今考えると、日頃の口数が少ない女子中学生が朝の会のスピーチでそれかよ。
いわゆる空気を読もうとする意思は持ち合わせていなかったようだ。
でも自分がクラス全員の前でそんな話をしたことなんかすぐに忘れてしまった。
もう全然覚えていなかった。
社会人になってから、かつての同級生数人に「今はもうカタツムリ飼ってないの?」
と聞かれて、思い出した。
それまで自分では、ちっとも人に記憶されるような話ではないと思っていた。