2人がかりで見る利便性

娘がときどきツタヤで映画を借りてくるもんだから一緒に見ることがある。
わりと古いのを娘は借りてくる。
私自身もそれ見たかったけど見そびれていた、っていうのがわりとある。
しかし見そびれていた映画というのは、往々にして見そびれていた理由がある。
その多くは「ちょっと面倒っちい」「忙しいときや疲れているときは難しい」とか。
娘だってあまり早くない時間に帰宅して、夜の結構遅い時間からリビングで鑑賞を始める。私もそれに付き合って発泡酒など飲みながら見ているが、気づくと互いに座椅子でうたた寝状態だったりする。
あと、ただでさえ私は近年ますます、異国の人とか若者の顔面の個体の識別が難しくなっているんで、映画を見ていても「これ誰だっけ?」状態にすぐ陥る。
つまり、娘と私と2人がかりで鑑賞して、互いに途中トイレに行ったりうたた寝したところを「あれから何があった?」と教えあったり「これはさっきアレだった人だよ」と教えあったりする利便性を大切にするべきかと。


ベジャールの振り付けのボレロをジョルジュ・ドンが素晴らしく踊っているところから映画がスタート。
しかしその場面は本当にすぐに終わって第2次大戦をめぐるヨーロッパとアメリカの芸術家の家族たちの物語が続く。再びジョルジュ・ドンが画面で踊るのがそこから3時間くらい後だ。もうラストはジョルジュ・ドンがベジャールボレロをがっつり踊っているんですから、それはそれはもう見ていて大満足です。
そこに至るまでの家族の濃厚な物語は、どうしても日々の雑事で疲れた鑑賞者同士で協力して居眠り部分の教えあいとか人物関係の教えあいとかで乗り切る。