再び、アカルイミライ

返却する前にやっぱり見たい、と昨夜は娘が鑑賞していた。
一昨日は私が一人で見て、オダギリジョーの美しさで頭がいっぱいになったことを
少し語ったせいか。
途中からまた私も一緒に見た。
見惚れるのはオダギリジョーだが、泣く場面は守の父役の藤竜也のところ
ということを自分の中で確認。
で、娘に「あの場面とこの場面でやっぱり泣いた」と話すと、
「えー、どうして?泣くような理由がわからん。」と言う。


守の父が、クラゲの群れが川から海に去って行くのを追いかけ
「私たちは見捨てられたのか」と嘆くところと、理解できないまま
死んでしまった息子への気持ちとか、
だから追いついたクラゲに、刺されても触れずにいられなかった気持ちとか
なんかそういう部分で泣くのは中年以降限定なんだろう。


父が役所で養子縁組の書類をもらって来たが、それをオダギリジョー
言い出せなかったこと、
死んだ息子が自分の仕事場のソファーに座っているのが一瞬見えて
驚きも疑いもせずに、ずっとそこにいていいよ、と短く静かに言うところとか、
重要なポイントを「え、そんな場面あった?」とあっさり見過ごしていた我が娘。
これは母と娘の性格の違いか、世代の違いか。
こういう映画で自分と違う反応を娘がするのって、それも面白い。
娘はそのあと、夢にきれいなクラゲが出てきたそうだ。
私はそういう夢を見る力がここ数年めっきり落ちているので、うらやましい。