しじみになりたいって

娘(15歳)は、よく「私が生まれかわったら、今度は・・・」と
楽をしておのれの欲望を満たせる在り方を夢想して、やかましく語る。
珍しくその話題に息子(11歳)がのってきた。
「ああ、僕はね、生まれ変わったらシジミになりたいんだ。」


どうしたのか息子。世の中がもう嫌なのか。
私は貝になりたい」程に、人に何か語るのがつらいのか。独りになりたいのか。
私が「さみしいじゃないの。水底の砂の中は。」と言っても、
娘が「あはは。暗〜い。だめじゃん、そんな」とか笑っても、
息子は穏やかに「うん。いいじゃん。べつにそれで。」と
微笑み自分でうなづくばかり。
なんか、息子がそんなことを言うのがたいして意外でもないってことが、
心配だ。でも、心配っていうより、やっぱり予感の範囲内だ。それは私が息子に
そういう思考も期待していたということか。つまり息子はママのそんな
屈折した気持ちに応えているということか、私のせいか、スマン。でも何それ?。


娘の「勝手に人の味噌汁にされちゃうんだよ!」に対しては
「ああ。いいよ別に」と答えてしまう息子。
「そのときは、ダシになりたい?具になりたい?」との私の問いには、
急に元気な話かたで「もちろん、具!!」とそこだけ力強い。