お経を聴くという娯楽

夫方の親戚の法事で、都内のお寺での親族集合に私も参加。
お坊さんは知的な有り難味みたいな雰囲気が皆無なお兄ちゃんだった。
地元のお寺に定期的に皆で集まって、坊さんの説法を聞いたり、お経を唱和したりって
一昔前の日本の老人達には普通の習慣だったとして、
それは宗教的な義務とか、共同体の義理というだけじゃなくて
きっと個々人の楽しみであり、集まるということのみならず
お経を聴いたりすること自体が娯楽でもあったんだろうと思うんだけれども
これで自分の心を満足させるってどういうことなんだろうと
読経の間に考えていた。
「自分にはよくわからないけれど、なんか真摯でアリガタイ感じがするし
自分よりも賢そうなお坊さんはその価値に確信を持っているようだし
鍛えられた声で抽象的な言葉と長く繰り返す音階も気持ち良いかも知れないし、
だからなんか日常一般よりも知性的な活動に触れた満足感がある」
みたいな理由なのかな。暗記の楽しさも含めてか。
よくわからない芸術を大人しく鑑賞する文化のひとつか。