教えてマルクス

父親が死んで1ヶ月。実家に行って母と弟に会った。
父親が生前パソコンに残していた例の本人からの死亡挨拶ハガキを
母親が各所に発送したので、そのお返事の手紙が天国宛にたくさん届いていた。
こんなに丁寧に手紙を書いてくださった方々が何人もいる。
それぞれに、父が考えた社会のあるべき姿と各自の活動を思うものだったり。



私が昭和の小学生だった頃、学校ではよく「未来の世の中」の絵を描かされていた。
林立するタワーの合間を透明なチューブや空飛ぶ自動車がめぐっている絵や、
海底や宇宙での巨大ステーションが定番だった。


そんな頃に父親は私に語っていた。
「発達した資本主義社会は、科学技術の進歩などで生産力は更に向上する。
 労働者は、生産手段を所有する資本家に搾取されている。
 人民が学び団結し、その経済構造の矛盾を克服することで
 人は能力に応じて労働し、必要に応じて受け取るという世の中ができる。
 そのとき労働自体がよろこびである。
 必要に応じて貨幣を受け取ることは、喫茶店でコーヒーシュガーを自分の
 望むだけ取ってよいのと同じで、新しい価値観を皆が身につけている社会では
 自分で食べきれない分まで他人の分まで取ろうとする人はいない。」


どうする。資本主義社会はあれからまた更に発達しているよ。
過労死なんか論外の、搾取なき労働と、コーヒーシュガーのような受け取りは、
あれか、もっとタイヤのない自動車がいっぱいビルの間を飛ぶ時代の
そのあとになったら来るのかな。
父の遺影の前に置かれた手紙には誰も、教えてマルクスとは書いていなかった。
医療費制度のこととか憲法9条のこととか。
世の中のそうした問題のいくつかに積極的にコミットしたりしなかったりするうちに
世の中が変わったり自分が年をとったり死んだりするのは当然のことで。
それでも人類のコーヒーシュガー的未来社会についてはどうよ。
それはもしかして、とても小規模でならできるのか。