ウィリアム・ケントリッジ

竹橋の東京国立近代美術館でウィリアム・ケントリッジの展覧会
「歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…」を見た。
この展覧会「凄いぞ!」という噂は本当だ。
入り口のすぐから、実写と木炭画での巧みなアニメーション。
進んでいくと大きないくつもの画面で
木炭画のドローイングをたくさん描いて撮って、消して描いて撮っての
迫力の存在感のアニメーションがもりもり展示。
ちょっと頭が軽く朦朧状態になりながら進むと
更にまた不思議な力強い映像展示が続く。
両目でレンズをのぞき込む作品もおもしろい。
そして円筒形の画面での映像がとても良いです。
更にそこを進むとまた大きなスクリーン群。


私は最近、偶然にもゴーゴリの「鼻」を読んだところで、
(うちは一家4人でこの冬に「外套・鼻」の家庭内ブームがあった)
ある朝自分の鼻が顔面から消え去っていて、その鼻が立派な身なりの紳士として
街にいるところに出会うという、やりすぎ感に満ちたストーリーを読みながら
「映像化不可能」とひとりごちていたがこんな映像を見るとはびっくり。
ショスタコービッチがこのオペラを作っていたこと自体を知らなかったし。



この南アフリカ出身の作家の作品は太く濃い線描きが動き
そこに登場する金満紳士・裸婦・労働者群・海・軍人・白人・黒人・牛
モノクロ実写の、目玉・スターリン・群集・シルエット等など
高カロリーな題材。
鉱山やアパルトヘイトを指すとはなんとかわかっても、
それがエイズ禍を指すものとまでは読み取れていなかったことを
あとから購入した図録を読んで知ったり
視覚も聴覚も、持っている近代の歴史・植民地主義やら政治的知識、
その他もろもろ、脳みそも心も全開でがっつり果敢に鑑賞して
へとへとになって更に図録で補強して
それでも「あれはいったい何だったのか」その痛みは何なのか
よくわからないけどすごいもの見たよ、と反すうする。

外套・鼻 (岩波文庫)

外套・鼻 (岩波文庫)