お経よりピアノ

亡父の墓は故人の希望と母親の賛成意見により
イザヤ書を墓石に彫ってもらって、その納骨式をした。
葬式の時と同様、お経とか牧師とかはやはり呼ばない。
少人数で集まって、母親は少し皆の前で預言者イザヤとバビロン捕囚とかの
話をした。日頃は全くそんな話はしないんだけれど。それが信仰っていうものか。
私はきっと信仰とは何なのか今後もわからないと思う。
自分の愛着の強い物語が主観的にずば抜けた強度を保っていることなのか。
母親の希望で、皆の集まった部屋で夫がピアノを弾いた。
夫は自分で作った曲以外はあまり弾けないので、
やはり、オリジナル無音階自由旋律特に終わりなし型のいつもの弾き方だったが
母親がそれに満足してくれたので亡父も良いのではないかな。