高嶺格マジでよくみえない

先日、横浜美術館高嶺格「とおくてよくみえない」に行ってきた。
だいたい私ほど高嶺格さんの展覧会を楽しみにしていた人はちょっと
いなんじゃないか、うちの家族の中でも私が何ヶ月も前から一番楽しみにしていた。
この展覧会、私は見に行ってからちょっと日にちがたっているんだけれど、
感想をね、こうやってブログで書くのとか非常に難しい。
簡潔にいうと「これは、うちの夫を連れて来なくて良かった」である。
この「とくてよくみえない」は本当に「よくみえない」。
もちろん「とおくて」というのは物理的な距離のことではないし、
「みえない」は視覚的に見えないわけではない。
この展覧会に来てしまった客の反応は2種類に分かれる以外にないのではないか。
まず「入場料1,100円払ったのにつまらなすぎ!」という反応。
もし連れて行ったら夫は今後しばらく横浜方面を通るたびに文句を言ったに違いない。
(そういう人に対しては、でも常設展が充実してるんだからいいじゃんと言えるのが横浜美術館
そしてもう1種類の反応は「こんなときどんな顔で鑑賞すればよいかわからない」という困惑しつつ目をそらすこともできない。


私が何故、この展覧会を楽しみに待っていたかと言うとやはり
高嶺格さんが以前に横浜トリエンナーレに出していた「鹿児島エスペラント」。
私はその頃は今ほど美術展に行く機会もなくて、本当にあの大きな暗い空間で
闇と光とひび割れた地面と壁と文字と見えては消えて。
まるで想像したこともない凄いものを見た驚き。
あのときびっくりしすぎてドキドキして、その後あまり詳しく思い出せなくて
是非ともまた再び「鹿児島エスペラント」を見たかった。


しかしこの「とおくてよくみえない」は、そんな企画ではない。
確かに「鹿児島エスペラント」とよく似ている作品はある。
これはこれで長時間暗い部屋でじっくり飽きずに鑑賞する。
しかし見ているのはこの作品ではなくて「鹿児島エスペラント」は
もっと違った、ええと、もっとテンションあがるような、でもどうなってたっけ、
ああ、記憶が遠くてよくみえない。


美術館に入場した瞬間から不気味な獣の咆哮が「オオーンオオーン」と
おどろおどろしく聞こえ、それに合わせて揺れる大布があり、
緊張感を持って最初の展示室に入ると額の中に毛布で、あの解説。
「あれ?高嶺さんタオルや毛布のデザイン仕事してるの?」
→「んなわきゃないね。美術解説ごっこ遊びか」
しかし、その後に来るべき
→「そうかそうか、わはっは。騙されるところだったよ愉快愉快」ていう
オチは来ないわけよ。
薄暗い展示室で大真面目にこのジョークを延々としつこく続けて
しかも「オオーンオオーン」の咆哮は絶え間なく聞こえ、笑うどころか不安だ。


それで、複数の映像作品も決してすっきり腑に落ちるなんてものではない。
在日韓国人の奥さんとの素晴らしくステキな結婚式とその前後の記録の
作品だって、愛の力ですっきり万事解決なんてものではなくて。


最後の映像作品のメッセージとして繰り返されるあの言葉は何なのか。
「わからねいよ」と言い捨ててさっと立ち去ることもできず
なぜならこの言葉に磁力のように引き寄せられるし
しかし、それの意味するものは何なのか
とにかくいろいろとおくてよくみえない。