日記を休んでいた間の暮らしのことなど1



3月になって、いよいよ仕事関係のあれやこれやで
自分のメンタルな意味での健康面がわりとマジでマズいかもっていう感じで
しかし春だし、ずいるずいるとだるいながらも市内の公園に
咲き始めた梅の花を夫婦で見物に行き、もそもそと茶店でダンゴなど。


で、仕事辞めたらコミポを使って描いて見たい実用HowTo漫画のこととか
もややんと考えながら勤務していたら3月11日だよ。
ちょうど職場で、ご高齢のお客との話が終わった頃に揺れ始めて
そのお客が椅子から立ち上がろうとするのをしばし制止し
別のお客がちょうど来たエレベーターに駆け込もうとしたのを制止し
階段歩行が大丈夫そうなお客に階段のご案内をし
揺れているパソコンをちょっと手で押さえたり、落ちて散らばる書類ファイルを
ぼんやり眺めたり、
その数分後に新たに普通に窓口に来たお客に普通に応対しながら
なんかまだずいぶんユラユラ揺り返しが続いている中でこのお客は
どうしてそれを全く気にしない様子で普通に自分の用件を語っているのか
私はそれに平常どおりに答えているが
今は本当はそんな風にしている場合なんだろうかと考えながら普通に続行。

いつもほぼひっきりなしにかかってくる職場の電話が静かなのは
皆がそんな用事どころではなくてかけて来ないせいなのか
それともつながりにくい状態になっているのかよくわからないまま。
職員の皆の携帯電話は概ね通話もメールもできなくなっていたし
インターネットも入れない。やがてワンセグを持っている職員は口々に
「今、一瞬だけ見えたニュース映像にとんでもない大津波が映っていた」と
言い始める。待機命令が出たものの午後7時には帰宅許可が出た。
娘と息子が無事に自宅にいることを公衆電話から確認。
電車は止まっていることはわかっていた。隣の席のバイク通勤のU君が
「メットが2つありますから俺のバイクに一緒に乗って帰りませんか。送ります」
と言ってくれた。
そそそれは。U君はメガネでスーツで穏やかで会計関係の仕事を誰よりもこなす
好青年。
いつも沈着に長時間、数字の読み取りをしているが、大学時代は仏教を学び
袈裟を着ていたという。特技は梵字を書くこととチベット語を少々。
そんなU君にしがみついてバイクに乗せていただくなんて
おばちゃんドキドキしすぎて無理だよ。惚れてしまったらどうすれば良いというんだねまったく。
U君にとっては、困っているお婆さんを
背負ってあげるくらいの善意なんだろうがね
やっぱりまだそこまできっぱり割り切れないお年頃なんだよ、非常時にそんなくだらないこと言ってる場合なのかどうかあれだが。
そしたらU君は職場に置いてある自転車を貸してくれたので
ありがたくお借りして1時間半くらいで帰宅できた。
途中は道は暗いし慣れないし、徒歩の人たちがたくさんいて
「どこに行くのはこの道かしら」的なことを質問されるが
私もよくわからなくて勘で進んでいるんですよ的な会話を何度かする。

私の帰宅後に夫も都内から3時間半ほど職場の自転車をこいで帰宅。
息子は高校から帰れたし、娘は春休みで自宅にいて
あの揺れのときには何故かその時間に入浴中であわてたという。
自宅2階の書籍の散乱が酷く、小さい書類棚や本棚が倒れていた。
息子の机の上の本棚は、いつも息子が座っている方向に倒れて落ちていた。

自宅の停電は地震後の3時間くらいだったとのこと。
息子の高校では深夜まで停電のまま、電車通学の子たちは体育館で泊った。