その後のここしばらくの日常2


あの地震のあとの土曜日・日曜日には近辺の電車は概ね平常に近く動いていたし、
商店は懐中電灯や電池は即売り切れのようだったが、まだそれでも食料品など特別に消えてはいなかったと思う。
食パンが売り切れているとか、何故かカップラーメンが大体の店で売り切れているとか、なんかまだそんな程度だった。
そして地元の大型スーパーから出てくる中高年のお客の
約半数がトイレットペーパーまたはBOXティッシュを何故か買っていたと思う。
人は落ち着かない気持ちになるとトイレットペーパーを買うのか。
娘のバイト先の本屋は商品がずいぶん散乱したが翌々日の夕方には営業再開。
テレビでは震災の特番だけが放送されていたし、ゆらゆらと小さい余震が頻発していたが
本屋はわりとお客が平常どおりに入ったという。地震とは全く関係ない
普通の漫画やラノベがよく売れたらしい。

週明けの月曜日からのほうがむしろ街の様子は「震災後」の生活。
息子の高校は卒業式の予行練習をしていたときの地震発生だったが
卒業式は延期の末に在校生の出席なしで行われ、
息子たちは予定より早くそのまま春休みに入った。
計画停電と合わせて電車が毎日運行状況が変わり
私と夫は毎日通勤経路のことを考える。
どこの区間が明日は何時から何時まで動くとかバスはどうとか
出勤経路のことと帰宅手段のことを夜も朝も考える。
いつも利用しているコンビニは食品の棚がほとんど空の状態で
なんか怖いような雰囲気になっていた。
パンもおにぎりも弁当もないのに、おでんは普通に売られていた。
スーパーではパンや米はないのに、野菜や魚はわりと普通に売られていた。
タラと白子とネギは普通に買えて、でも豆腐は品切れ。
自宅でタラ鍋を美味しく食べながら、うちの米の残り状況を考える。

自宅は計画停電の対象地区になり、夜も何度か停電した。
残業をせずに急いで帰宅する途中、夕方6時半ごろに地元の駅前で初停電開始。
予告はされていたものの、バスッという低い音とともに
デパートやビルや商店の灯りが一斉に消えたときに通行中の若者たちが
キタ━(゚∀゚)━!!!!! とみんなで顔文字そっくりの反応をしていた。
暗い道を通って帰宅すると、暗い自宅内に弟を残して
娘は1人で貴重な懐中電灯を持ち出して、徒歩で停電圏外のカフェに行って
まったりと食事&読書をしていたことが判明。
別日には停電中に土鍋で粥を炊いてろうそくの灯りで家族皆で食べて
意外と停電でもそれはそれでうちは大丈夫だった。





芹が谷公園の噴水彫刻(飯田善国)の周辺の桜。



夏はこんな感じでもっとにぎわう