その後のここしばらくの日常3

あの地震から3週間近くたってちょっとした人事異動があり
同じ建物の中で私は仕事の内容が変わった。


新しい部署で一緒に働くことになった同僚の中で
一番しっかりものでテキパキしていて、オヤブンと呼ばれる女性が
被災地に数日間派遣された。
津波で街が広範囲に壊滅と報道された、激甚な被災地区。
彼女は私よりも少し年下だが、とにかくしっかりよく働く。
現地でもきちんと役立つ仕事をしてきたことは報告でよくわかった。


彼女の入った避難所では、はじめにそこにいた人の中から
トイレの利用方法や手洗いや消毒薬の利用などについてのルールが作られたため
感染症の予防ができていたこと、
避難所の利用者の名簿の作成が大切なこと。
それがないと家族の行方を知ることも難しいし、医療的な物資などの確保も難しい。
とにかく寒いので、救援物資で届いた使い捨てカイロで温まろうと
老人たちの多くがそれで低温火傷をしていること。しかしその皮膚の痛みを
多くの老人たちは言わずに我慢していること。
救援で医薬品は届いているが、被災してからの食生活の乏しさを勘案すると
それ以前に飲んでいた薬を同じように使うことについて判断が難しいこと。
避難所には介護の必要な老人が多く、果物が届いても皮をむいて切って配る人手も足りないこと。野菜が食べたいが調理の人も設備も足りないこと。
被災者の中で若い人が文字通り不眠不休で避難所運営の中心になっているが、
その人自身の夫も子どもも津波で行方不明になっていること。
道路状況が悪く停電も続いているので、救援活動は午後早めに切り上げて
日没までに本部に戻らねば危険なこと。
各方面への活動報告の書類の作成が連日多くて睡眠時間が充分とれないこと。



彼女は立派に働いて帰ってきた。
そして帰ってきた早々また通常業務でオヤブンとして忙しく働いている。
疲れて帰ってきたのに人事異動したばかりであれこれ慣れない私や
新人職員にいろいろなことを教えてくれながら働きづめだ。
それなのに、私ときたら
教わったことなのに失敗をして彼女の仕事を更に増やす始末。



もうね、私は自分で今まで思っていた以上に
相当に仕事がとろい状態で、本当にもう自分で自分にめまいがする日々だが
もうね、どうにか自分でなんとかするしかないと思うのよ。
もうしばらく頑張ると今よりは多少それなりになるかと思うので
オヤブンそれまですみませんて感じですよ。