服から本までが遠い

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

私も読んだよ。今、話題のこの本を。


・片付けは「祭り」だ。毎日するのではなく集中して激しく。
・まず、自分の衣類を全て集めて手に取り「ときめく物」以外は全部処分。
・服が済んだら「本」というように、場所別ではなく「物」ごとに進める。
・「ときめかないもの」はすでに自分にとってその役割は終わっている。

まあそんなようなことが書いてある。
そしてこの本の方法で1度徹底的に片付ければ、リバウンドしないという。
この本を読むと、片付けとはなるべくかかわらない方針で生きてきた私でさえも
なんかやってみようかなという気持ちになる。


私は、誰かに「捨てるべし」みたいな感じて迫られると思っただけで
「嫌〜っ!私のものは捨てないで。使ってないけどとっておきたいの。
それを捨ててしまったら私の一部がスカスカになってしまうかもしれないの。
捨ててしまった場面を思い出すときっと弱ってしまうの。
片付いた清潔な暮らしよりも、
自分の溜め込んだ物にぬくぬく埋もれて暮らすの。
きれいな部屋には私の居場所がないの」
みたいな気持ちが湧くという謎の発作を昔からおこす人だよ。

その私がこの本を「良いかも」と思ったのは
「ときめかなくなったモノには、丁寧にお礼を言ってお別れする」
という考え方だね。
 やはり縁あって自分の家で何年も一緒に暮らした衣類とか書籍とか書類とか、
ほこりまみれで場所を塞いで放置しておくよりは、きちんと供養して
成仏させてあげるのが愛ではないかと私も思い至った。

 まず、本に書かれていたとおり、自分の服からやってみた。
クロゼットや引き出しやクリアケースなど開けて思ったのは
「こんなところにも自分の服が置いてあったのか」と思う
どこに置いたかも忘れていた数年間見たこともない自分の服が
次々と出てきた。
 本に書かれている「ときめくものだけ残す」という基準よりは
大幅に甘い基準で処分したが、大きなゴミ袋6枚の古着を処分。
「いやでもこれは以前に気に入っていた服だったから」と吹っ切れない服は
ちょっと着てみて鏡で見たら「すみません。おばちゃんもう無理ね」と
やっぱり成仏していただくもの続出。
 でもかなり緩い基準なので、6袋処分して残った衣類のうち半分は
もう着ないかもしれない、着なくてもかまわない衣類だ。

 次に本に書かれているのは「書籍の片付け」
 「いつか読もうと思っている本」「勉強しようと思って買ったままの本」など
そういうものは処分すべしと断言する著者。
 ううう…。私は…ここは後回しにしよう。

 本に書かれていることとは違うけど、もっと私は悩まないところからやる。
うちは全体に酷いが、酷い家というのはすべからく玄関からすでに酷い。
うちは物があちこちにとめどなくある家だが、さすがに靴は玄関周辺に
集中して置かれている。
 家族の靴を処分したらそれだけで大きなゴミ袋2袋になった。
どうやってこれらを溜め込んでいたんだか自分でもわからない。
いつからか靴箱はぎゅうぎゅうで開け閉めもままならなかったのは当然である。
靴というものは、履かないでずっとしまっておくと
底が割れて物理的に使用不能になってしまうものだったんだ(安い靴だから?)
履き古した靴を放置しておくと踵部分とかが割れてしまうんだ。
捨てるべきかどうかと悩む余地もないダメ靴でうちの靴箱はいっぱいで
それでいつも履く靴の収納場所がなかったのでしたよ。