[康]大江健三郎と町田康

群像11月号。
普段立ち読みさえしない「群像」だが、これは力を込めて買った。
「特別対談 大江健三郎+町田康」だもん。

この組み合わせ!私の中では20余年前からだ。えっへん。(何故いばる?)
私は大江健三郎は未読のものは多いがしかし、
19歳の頃の最大の愛読書は「洪水はわが魂に及び」だった。
毎日何度も繰り返して読み、あの英語の授業の場面での
「若者よ祈りを忘れてはいけない・・・」と訳される英文を書き抜いて、
持ち歩いている時期がしばらくあった。
その文を覚えて毎日何度も頭の中でリピートさせていた。
そしてその当時、
私がヘッドフォンで毎日聴いていたのは町田町蔵メシ喰うな
あ、もちろんP-MODELもですが。
それでね、あの「洪水はわが魂におよび」のラストのほうの
機動隊との銃撃戦のあたりを読んでいるときは、私には会話部分が町蔵の声で聞こえたし、
自然に頭の中でそのバックミュージックはINU

これはピッタリな組み合わせだったのよ。
これを読んでいるとき、これを聴いているときの、
自分の頭が揺れてうねって加速する感じっていうかぁ。(説明困難)。


で、この対談でマチダさんが語ったこと

僕は実は中学生くらいのときから大江さんの小説を読んでいたんですが・・・
ひとつの作品を何度も何度も読み返していたんです。・・・16歳でパンクロックを始めたときに、何か歌詞をかかなきゃいけないんだけれども・・・そのとき何かこだまのように、大江さんの小説のちょっと難しいような言葉が時々浮かんできたりとか。

その読み返していたのって「洪水は」でしょうか。
激しく気になる。
だったらさあ、私のやっていたことって当然じゃん。(そうか?)。


あ、それで、この対談がそもそも何故おこなわれたかというと、
大江健三郎の新刊さようなら、私の本よ!が出て
取り替え子 (講談社文庫)憂い顔の童子に続いての3部作が完結。
そしてマチダさんと告白をめぐってカタストロフィについて語ろうという趣旨の御指名のようだ。

しかし、私も「取替え子」と「憂い顔の童子」はそれぞれ発売早々読みましたが、
今度の新刊をすぐ読みたいっていう気合が入らないんだわ。
前2冊とも、凄く面白いと思って読み進んだら実は、なんだかなあの展開。
「憂い顔の」のほうは、途中でその主題になっている「ドンキホーテ」が気になって
お手軽に若者向けのダイジェスト版で読み、それに大感動してしまったのが
良かったな私。っていう妙な事態に。

そしてマチダさんはこの対談で分かりやすいことを言ってくれている。
そうそう。これ言った方が良いと思う。

大江さんの小説というのは、カタストロフィということでなくても、
必ず事態が成就せず、何か珍妙なことになったり、滑稽なことになって終わる。

長江古義人(3部作中の大江の分身みたいな主人公)は、
破局どころか、ただずっと本を読んで感想を言っている。

そしてマチダさんの「告白」について、
主人公の妻になる縫という女性のこと、大江さんも気に入っていて、
マチダさんは「神仏の使いかもしれないと、熊太郎のゆがんだ目から見たもので、
実際はありふれた女性なのかもしれない。二重化された存在。」と語る。
そうか。2人ともOKなんだ。
私はね、「告白」のなかでは唯一この縫についてだけが
もうちょっと違う書き方だったら良いのにと思っていた。
縫の魂への思い入れができないじゃない。でも脇役はそこまでで可なのか。


全然話は変わるっぽいが、
本屋でついでに例のメガネ男子を立ち読み。
しかし、この本に載っているどのメガネさん達よりも
群像11月号のこの2人が断然素敵メガネだ。
元祖メガネ男子王の大江さんのあの丸い黒ぶちメガネ(小林賢太郎氏もヒヨドリ兄弟?で真似ていた)と並んで、マチダさんまでメガネ!メガネでスーツで長髪クール目。おおお。
『洪水はわが魂に及び』 『ピンチランナー調書』 (大江健三郎小説)